ねむがじぇのネコトオル(@nemgadjet_camp)です。
なんと・・・!
ついに・・・!
MacBook Airを購入!!
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
この艶、質感、さすが天下のMacBookAir
人生初のMacBook Air(M1)これが初めてのMac。PCに触れ始めて20年。ついにMacを所有する日が来てしまった。
スペックは8コア8GPURAM16GB、Strage1TB。吊るしモデルではなくCTOの整備済み品だ。費用的にもメリットありと踏んで整備済み品を購入したが、傷や品質はこれといって気になるところはない。
それにしても金属筐体の質感が高い。これまでのノートPCは樹脂筐体ばっかりだったのでここまでの質感は恐ろしさすら感じる。持ち運びに躊躇してしまうくらいに。。。
切り口は異なるが動画でもレビューを行なっているのでこちらもどうぞ
目次
M1MacBook Air 購入の動機
動画編集は時間がかかる
1年前からYouTubeへの動画投稿を始めるようになってつくづく思ったのが動画編集には時間がかかるということ。1本あたり10時間くらいはかかっている(あのクオリティでも、だ)
加えて結婚とかもしたので今後自分の時間は減っていく。どうやって効率化していくか、時間を捻出していくか、そう考えたときに頭に浮かんだのがノートPCで場所を選ばずに作業に取り組むということだった。
ノートPCは10年前の学生の頃に所持していたがスペック的にはやはりデスクトップには劣っていた。あとはネットワークも当時はテザリングなんてものはなかったからモバイルルーターを契約する必要があったりと外作業のハードルは結構高かった。
しかし今ではスマホのテザリングを使えば気軽に外出先でもネットワークに繋がることができる。そしてこのM1MacBookであればバッテリー持ちも素晴らしいし動画編集だってできる(とレビューで言っていた)時代は進みデスクトップPC一択の時代ではなくなってきている。どこそこのモバイルルーターは爆速だ、そこは無料でWifiが使える。錯綜する情報を整理して答えを見つける時代はもう終わっている。そんな時代の息吹を感じた僕はMacBook Airを衝動買いした。
購入にあたって考えたこと
僕がMacBook Airを購入するにあたって求めていた機能は大きく2つだ。
- 場所を選ばず作業ができること(動画編集、ブログ執筆)
- 労力におけるアウトプットの割合を増やす(効率化)
マシン性能、バッテリー持ち、欲しかった機能を十分以上に発揮している
場所を選ばず作業ができるというのはもっとも重要視した。場所を選ばない、というのはとても広い意味を含んでいる。電源付きのカフェでなくてもいい(バッテリー持ちがいい)狭いスペースでも置くことができる。軽量で持ち運びが苦にならない。などだ。
相反する要求として動画編集がある。昔はVAIO Pとかに心ときめきUMPCなんてジャンルにワクワクしていたが、動画編集となると話は別だ。動画編集をする上ではどうしても画面のサイズとある程度のスペックが必要になってくる。素材を配置するタイムラインだったり素材にかけるエフェクトを調整するウィンドウだったり、編集結果を確認する再生画面なんかが必要になってくる。
これらを画面が小さすぎるPCでやろうとするとどうしても無理が出る。本格的な編集は自宅でやるにしても、最低限カット編集程度を満足にこなすにはM1MacBook Airくらいの画面は必要じゃないか、というのが僕の意見だ。
そしてMacBook Airは現在動画編集、ブログ執筆に十分な能力を発揮している。動作がもっさりしたりすることはないしバッテリーの減少が気になったり電源を探したりということは今のところ発生していない。
2つ目の労力におけるアウトプットの割合を増やす、というのはとても簡単だが難しい話である。例えば僕がこれまで使ってきた自作PCでは原因不明のシャットダウンなんて日常茶飯事だ。BIOSのアップデートが必要だったり電源がぶっ壊れてしまっていたり、メモリが抜けかかっていたり、とにかく色々なトラブルに見舞われる。まともな自作PCやBTOのものであればそもそも問題は起きないという話だろうし、元々それらを調べて解決していくこと自体嫌いではなかったりする。しかし今後時間に追われるようになっていくことを考えると時間の配分を見直さなければならないのも事実だ。動画編集中にKERNELのエラーだとかでPCが落ちたときは叫びたくなる。
その点、MacはWindowsと比べてシステムの安定性に1日の長があるという話をよく聞いていた。理不尽なシャットダウンほど気分を萎えさせるものはない。そういう意味でシステムが安定しているMacという選択肢は僕にはとても魅力的に感じた。
僕はこのMacBook Airで「何か」になれる
Macを触れたことがない僕にとって、Macに触れることで何かが変わるんじゃないか、そんな期待もあった。MacのOSシェア率は1割にも満たないそうだ。そんなマイナーな存在にも関わらず、PC界でMacは確かな存在感を発揮している。それはMacの素晴らしさを語るレビュワーであったり、Macを通してクリエイティブな発信をしている人たちのおかげだろう。そして彼らが語り、使いこなし、創造に使っているMacはどこか遠い世界のアイテムのようで、そして憧れを感じさせる存在だった。
僕は何かになりたかった。
中学生の頃はブログを書いたし、高校生の頃は小説家になりたくてテキストエディタを購入した。大学生の頃はクリエイターに憧れ、楽器を持ってみたり動画編集に手を出した。社会人になってからは映像に興味を持ち、一眼カメラやビデオカメラを購入していた。
全ての経験が無駄だったとは言わないが、振り返ると全てにおいて中途半端だった。
そして気がつけばもう30歳になろうとしている。そんな、何者にもなれなかった僕がMacを手に入れて変われるのか?手にして得られる一時の満足感で終わるのではないか?自分を責める言葉はいくらでも思いつくし、その言葉はこれまで過ごした人生の重みを伴って、実感として響いてくる。
それでも、Macを使ってみたい。
Windowsしか知らずに終わるには人生長すぎる。ChromeOSだって、使わないがLinuxだってある。世界はもっと広いということを知りたい。そして広い世界で自分の夢中になれることを見つけたい。
そんな10代のうちに済ませておくような青い衝動が、このMacBook Airに触れてから蘇った。ブログだってできる。動画編集だってできる。このMacBook Airは無限の可能性を秘めている。手にして1週間、実力の僅かも引き出せていないだろう。しかし、確証はないが確信に近いものを感じている。
これがあれば、「何か」になれる。
僕はブログやYouTubeでスーパーインフルエンサーになって案件獲得しまくり副業ウハウハFIREの民になろうなんて思いはそこまでない。たぶん宝くじ買った方が効率がいい。
僕はこのMacBookに触れて感じた今はまだ言語化できない「何か」を伝えたくてブログに手を出し、動画に手を出し、これまで中途半端な人生を生きてきたんだろう。ブログでマネタイズ、YouTubeでマネタイズ、大いに結構。それでも僕が一番に伝えたいのはこのMacBook Airを手にしたときのワクワクなんだ。それはきっとお金で測れない「大切な何か」なんだろう。
1週間使ったところでのファーストインプレッションは文句なし。このMacBook Airが今後のメインマシンになっていくだろう。今伝えられるのはそれくらいだ。引き続きこの素晴らしいプロダクトと向き合って、長期的にレビューをしていこうと思う。